『文豪はみんな、うつ』作家の最期の真実とは? 現代の精神科医が定説をくつがえす【読書記録】

文豪はみんな、うつサムネ画像ブックレビュー

『文豪はみんな、うつ』岩波明[著]幻冬舎文庫

本の大まかな内容

明治から昭和初期に活躍した日本を代表する文豪、夏目漱石、有島武郎、芥川龍之介、島田清次郎、宮沢賢治、中原中也、島崎藤村、太宰治、谷崎潤一郎、川端康成の10人の最期とはどんなものだったのか。『精神疾患』にまつわるエピソードを中心に、生い立ち、社会情勢、家族、出会った女性たちなどの史実から、多角的にひも解いていく。

作家たちの定説に、現代の精神科医が鋭く切り込んだ作家論。

おもしろかったところ✨

通説よりも、確かさを感じる

すごく有名な文豪たちがどんな最期の遂げたのか、あまり知らなかったので、この本を見たときに、一気に興味がわきました。

わたし
わたし

作家たちの最期については、『心中した』『自殺した』『名前は知っていても、最期は知らない』……こんなぼんやりとしたイメージしかもっていませんでした。

本書の裏表紙には、こうありました👇👇

彼らのうち、7人が重症の精神疾患に罹患(りかん)し、2人が「精神病院」に入院、4人が自殺している。

『文豪はみんな、うつ』岩波明[著]幻冬舎文庫 新書版裏表紙より ㊟()内のフリガナはブログ主が書き入れました

一般的に周知されている情報も、こんな感じの『最期の部分』ではないでしょうか?
この『部分だけ』では、やっぱり『文豪って、心が弱い人が多いんだな』みたいな印象だけが残ってしまいますよね。

わたし
わたし

わたしも、『通説』だけで、その作家のイメージを勝手に作りあげていました💦

本書では、『なぜ心中するに至ったのか』『なぜ自殺するに至ったのか』など、最期に至るまでの経緯を、『精神疾患』のことだけでなく、生い立ちや家族との関係、作家本人の性格傾向、社会情勢など、多角的な視点で分析しているので、『本当はこうだったのかもしれないな』『心の問題だけではないんだな』と理解が深まっていきました。

有島武郎(ありしま たけお)の場合

心中は、死ぬきっかけが欲しかっただけ

『或る女』や『小さき者へ』で知られる有島武郎の最期は、不倫の末に人妻だった女性と心中です。
よく知られていることが👇👇
●二人は、遺体が発見される数か月前から行方不明になっていた。
●最後に有島が姿を見せたのは、彼の著作を数多く刊行していた出版社の社長の元だった。
 その時に、彼女の夫から金銭を要求され、できなければ姦通罪で告訴すると脅されていることを打ち明けた。

そういう事実から、彼女の夫が二人を自殺に追い込んだ悪者、というストーリーが成り立ちます……

でも、実のところは👇👇
■この恋愛は彼女の方が積極的だった。有島は腰が引けていた。
■この交際が始まったころより、有島に憂うつな気分が強くなり、死を意識していた。

この交際の1年前くらいから、有島がうつ病を発症したものと考えられる、と著者は書いています。

うつの症状で思うように創作活動ができない焦燥がふくらんでいたところに、不倫の恋が追加された有島の心はどうなっていったのか……。

著者はこう書いています。

有島は、「情事」とそれによるトラブルによって追い詰められて心中した――というのは正確ではなく、彼自身、死ぬきっかけを捜していたのである。

『文豪はみんな、うつ』岩波明[著]幻冬舎文庫 

世間に伝わっている情報の裏側ではどんなことが起きていたのか? どうしてそうなったのか? という過程を垣間見れたようで、有島作品を読んでみたいな、と思いました。

島崎藤村の場合

座敷牢の住人だった父親を小説にした

『破戒』や『夜明け前』で知られる島崎藤村は、父親と姉が精神疾患を患っていました。
若いころは、地域で頼られる存在だった父親が、だんだんと奇行に走るようになり、50代で精神疾患を発症。自宅に作った座敷牢に入れられた……。
(明治時代には、精神病院の数は少なく、自宅で座敷牢を用いて閉じ込める、というやり方をせざるおえなかったそうです)

そして、姉も父親と同じ病気がみられ、精神病院で最期を迎えた……。

『夜明け前』の主人公は、その父親をモデルとしていて、事実に沿って書かれた小説で、藤村は、物語の中で、父と姉のことを詳細に書いているのです

実の姪との恋愛も、小説にした藤村

藤村は、妻を病気で亡くしたあと、まだ幼い子供たちの世話のために手伝いに来ていた、次兄広助の娘のこま子と恋愛関係になってしまいます。
こま子は妊娠し、極秘で出産。その子供は、すぐに養子に出されました。

藤村は、このこま子との出来事を題材として『新生』という小説を書きました。そのせいで、兄広助と絶縁状態になってしまいます。

なぜ藤村は、こんなに自分の家族や自分自身の隠しておきたい出来事を、小説として世間に知らしめてしまうのだろう?
その問いに、著者はこう書いています👇👇

この小説は自らの贖罪(しょくざい)のために書かれたのだという解釈もみられるが、おそらく藤村は、自分の経験が小説の題材として最良のものであることに気がついたのである。(略)

凡庸でない作家は、目の前に置かれた最高の素材を生かそうという誘惑から逃れられないものである。

『文豪はみんな、うつ』岩波明[著]幻冬舎文庫 ㊟()内のフリガナはブログ主が書き入れました

『新生』については、藤村に無心をしてくる兄広助との縁を切るために書いたのではないか、という声もあるそうですが、上の引用の著者の意見にわたしも大きくうなづきます。

作家として名を残している人は、自身のことも家族のことも、どんなにつらいことにも恥ずかしいことにも向き合って、それを作品に昇華していったのだな、と感じたからです。

繊細でないと書けないし、繊細だから深く傷つく。だけど、作家だから、それを書く

作家たちが命をかけて書いた作品を、今、この時代に手軽に読むことができるなんて、ものすごく幸せなことなんだなと、本書を読んで気がつくことができました!

わたし
わたし

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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