◎『クソどうでもいい仕事してるな~』と感じている方
◎就活をされている方、転職を考えている方(転ばぬ先の杖!)
◎働き方について、興味のある方
◎働く人の心理について、興味のある方

すごくヒマなのにちゃんと給料が出ている仕事って、確かにあるな~と思いながらのんびり読み始めたけれど、ページをめくるごとにそういうことだったのか!とひざをうちまくりでした💡✨
知っていると、世の中の見え方が変わってくる!!

特に、これから就職先を決める就活生さんや、転職を考えている社会人の方には、この概念を知ってほしい! 今後の人生が大きく変わってくると思います!!

本の大まかな内容
『ブルシット・ジョブ』とは、『無意味で不必要で有害でもあるが、ちゃんと給料が出る雇用形態』で、かつ『働いている本人も、それを認めている』のに『忙しいフリをしなくてはいけない』仕事のこと。
たとえば、ただデスクに座って、誰も読まない資料を作ったり、『そこにいることだけ』を要求されるような……。
なぜ、そのような仕事があるのか? なぜ、なくならないのか?
だれもが知っているが、だれもいわなかった、クソどうでもいい仕事の理論とは?
大反響を呼んだ『ブルシット・ジョブ現象について』という記事
人類学者のデヴィッド・グレーバー は、新しいウェブマガジンから寄稿を依頼されたとき、あたためていたアイデアを小論にして発表しました。
それが『ブルシット・ジョブ現象について』という文章でした(この本にも、全文記載されています)。
◆『無意味で不必要で有害でもあるが、ちゃんと給料が出る雇用形態』で、かつ
◆『働いている本人も、それを認めている』のに
◆『忙しいフリをしなくてはいけない』仕事のこと。
存在を知りつつ、だれも語らなかったこの仕事のことを、あからさまにしてしまった『ブルシット・ジョブ現象について』は世界中に拡散され、『私もブルシット・ジョブをしている!』という声が次々と上がりました。
この本は、その大反響だった『ブルシット・ジョブ現象について』をもとに、発表後の反応や調査、分析や考察をくわえたもの。
『ブルシット・ジョブ』という言葉は、著者のデヴィッド・グレーバーの造語で、
『ブルシット』は、かなり下品な語。くだけた間柄の、特に若者の間で好んで使われているそうです。
意味としては(名詞では)『嫌なもの』『不必要なもの』『うそ』『ほら』『でたらめ』などといったものがあります。
この問題が、なぜ今まで世間一般に知られることがなかったのか?
『ブルシット・ジョブ』と似た言葉として、『シット・ジョブ』というのがあります。
この2つの言葉は、どう違うのでしょうか?
『シット・ジョブ』とは、つらくてきつくて尊敬もされない内容で低賃金の仕事です。
そんな『シット・ジョブ』のことは、いろんな媒体で堂々と語られてきました。
でも、しんどくもない作業をして、高給もらっている『ブルシット・ジョブ』のことは、誰も語ってこなかった。
「世の中に必要とされていないつらさ」と声に出したとしても、『うらやましい』といわれかねないので、語ることができなかった……
著者は、『シラノ・ド・ベルジュラック』(片思いがテーマの名作戯曲)を例に説明してくれています。
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ロクサーヌ(片思いされる側) ⇒ 彼女が何を感じているのかを、誰も語らないし、教えてもくれない
★つまり、シラノ=『シット・ジョブ』 ロクサーヌ=『ブルシット・ジョブ』ということ。

確かにロクサーヌはモテてて、羨望の対象だけども、もし自分がロクサーヌのように、思ってもみない人からずっと想われていたとしたら、とても心がしんどいけど、でも誰にも相談できないかもしれないな……
なぜ、『ブルシット・ジョブ』が生まれたのか?
1930年、経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、テクノロジーの発達で、20世紀末までには労働時間がもっと短くなると予測した。
なのに、今、わたしたちの生活はそうなっていない……。
そのギモンの一般的な説明としては、『消費主義の大幅な増大』をケインズが計算に入れていなかった、というものがありました。
わたしたちが【労働時間を少なくすること】よりも、【新しいおもちゃや娯楽】を選びとってきたと。
『少し考えただけでも、それが真相でないとわかる』と著者はいいます。
『まるで何者かが、わたしたちすべてを働かせつづけるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっちあげているかのようなのだ』と。
企業による容赦のない人員削減がすすめられるなかで、解雇と労働強化がふりかかってきたのは、きまって、実際にモノを製造し、運送し、修理し、保守している人びとからなる層(クラス)であった。けれども、だれもまったく説明できない不思議な錬金術によって、有給の書類屋(ペーパー・プッシャー)の数は、結局のところ増加しているようにみえる。〔略〕
その答えは、あきらかに経済上のものではない。道徳上かつ政治上のものである。自由な時間を獲得した充足的で生産的な人びとを、支配階級は死活的脅威であると認識するようになった。〔略〕労働はそれ自体が道徳上の価値であるという感性、目覚めている時間の大半をある種の厳格な労働規律へと従わせようとしない人間はなんの価値もないという感性は、そんなかれらにとって途方もなく都合のよいものだった。
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著 酒井隆史、芳賀達彦 森田和樹訳 岩波書店 5ページ ※引用文の()内は、本文ではフリガナとして書かれていたものです。
◆支配階級が、一般人に『自由』を与えることを怖がった。
◆『自由を与えないために』勤勉という『美徳意識』を利用した。
などなどが、『ブルシット・ジョブ』が生まれた理由!?

著者のこの鋭い洞察! 腑に落ちるものがあると感じる人が多いのではないでしょうか?
『ブルシット・ジョブ』に就いている人は、自分のことを不幸だと思っている
不必要だと自覚しながら、仕事してるフリ(演技)をしなくてはいけないという、『ブルシット・ジョブ』の雇用状態にいると、心はどんな状態になってしまうのでしょうか?
『ブルシット・ジョブ』に就いている女性の証言が、リアルに教えてくれています。
わたしがここにいなくてもなにも変わらないことや、〔わたしがいなければ〕無駄な出費がなくなることに、だれかが勘づいているのではないかとおもうと、いつだって不安でなりません。
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著 酒井隆史、芳賀達彦 森田和樹訳 岩波書店 155ページ
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まず、役に立つから雇用されたかのように扱われる(仕事、がんばるぞー)
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自分のやっていることがなくてもいい仕事だと気づいてくる(こんなんで給料もらっていいの?)
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「仕事してるフリしろよ」という上司からの無言の圧力。調子を合わせてふるまっている(わたしはなにをしているんだろう?)
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個人の自尊心を損ね、わたしはわたしであるという根源的感覚を直接攻撃する(わたしは、いらない人間?)
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心が病む
パンデミック状況下ので『ブルシット・ジョブ』論が再浮上した理由
パンデミックの状況下で『ブルシット・ジョブ』論があらためて注目された、と、訳者のあとがきにあり、そのなかに、驚くべきことが書かれていました。
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GDPが1%減少しただけでも大惨事になると予想されていた
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でも実際の、経済活動の減少は、たった3分の1だった
これが意味することはなんでしょうか?
これには、『ブルシット・ジョブ』とともに、『エッセンシャル・ワーカー』(社会基盤を支えるために必要不可欠な仕事に従事する労働者のこと。 医療・福祉や保育、運輸・物流、小売業、公共機関など)という概念がかかわってくるようです。
著者は本文のなかで、こう明記しています。
本書は、特定の解決策を提示するものではない。問題――ほとんどの人びとがその存在に気づきさえしなかった――についての本なのだ。
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著 酒井隆史、芳賀達彦 森田和樹訳 岩波書店 346ページ
『ブルシット・ジョブ』という概念が、この先もっと広まることで、新しくて、住みよい時代がくるのかもしれないと、希望を持たずにはいられません。
『ブルシット・ジョブ』を知った、わたしたちにできることは?
『ブルシット・ジョブ』の概念を知ったわたしたちが、できることはなんだろう?
すぐにでもできることは、『もし、ブルシット・ジョブをなくしたとしたら』と想像することではないでしょうか?
◇そこまでいかないまでも、もっとのんびり過ごせるようになったら……
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◇おそらくそれは、地球温暖化にブレーキをかける最も効果的な方法であるはずだ、と著者はいいます。
最後までお読みいただき、お読みいただきありがとうございました。

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